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ボルドー右岸が先に開拓された理由とは?意外な歴史に迫る

こんにちは!最近、ボルドーに行ってきました。ボルドーといえば、美味しいワインや素晴らしいシャトー、そしてワイン産地として世界的に有名な場所ですね。特に「メドック地区」は、ワイン好きなら誰もが知っている名産地ですが、少し気になることがありました。それは、ボルドーの右岸と左岸、どちらが先に開拓されたのかということです。


私はずっと、左岸の方が先に開拓されたと思い込んでいました。というのも、左岸には世界的に有名なシャトーが集まっていて、ワインの歴史も深いのではないかと思っていたからです。

でも、実は驚くべきことに、ボルドー右岸の方が先に開拓されていたということが分かったんです!その意外な歴史について、今回は少し掘り下げてみたいと思います。


右岸はローマ時代からワインの生産地だった!


まず、驚くべき事実からお伝えします。実は、ボルドー右岸ではローマ時代からブドウの栽培が行われていたことが確認されています。特に、サン=テミリオンやポムロールなど、右岸の村々は古代からワインの生産地として栄えていました。


一方、ボルドー左岸、特にメドック地区は、なかなか開発が進んでいなかったのです。その理由は、メドック地区がジロンド川の河口近くに位置し、湿地帯が広がっていたから。湿地の多い土地は、ブドウ栽培には適していない環境であり、農業にはとても厳しい場所だったと言われています。川の氾濫や湿気も問題で、土地改良が進まなかったのです。


イギリスとの関係が右岸の発展を促進


ボルドーの歴史において、イギリスとの関係は非常に重要な役割を果たしました。1152年、アキテーヌ王国を支配していた侯爵夫人アリエノールが、イギリス王ヘンリー2世と結婚し、アキテーヌ地方がイギリス領になったことがきっかけです。


当時、イギリスはワインの輸入に力を入れており、特にボルドー産ワインに対しては関税を下げるなどの優遇措置をとりました。この結果、ボルドー産のワインはイギリスとの交易で栄えました。

しかし、この時期にイギリスに輸出されていたのは主に右岸のワイン。左岸のメドック地区はまだ未開拓だったため、右岸のワインが主流だったのです。


メドック地区の開発はオランダ人のおかげ


さて、ボルドー左岸が本格的にワイン生産地として発展したのは、16世紀になってからです。そのきっかけは、オランダ人の入植でした。オランダ人は干拓技術に長けており、メドック地区の湿地帯の干拓や土地改良を行いました。これにより、メドック地区の土地がブドウ栽培に適したものへと変わっていったのです。



この土地改良が進む中で、メドック地区は徐々にワイン生産地として発展していきました。そして、現在のように世界的に有名なワイン産地としての地位を築いていったのです。


右岸と左岸、それぞれに感謝の気持ち


驚くべきことに、今でもボルドー右岸の人々はイギリスに感謝しており、逆に左岸の人々はオランダに感謝していると言われています。フランスの伝統的なワインの名産地に、イギリスやオランダの影響がこんなにも強いというのは、実に驚きですよね。


でも、実際にイギリスの支配があったおかげでボルドー右岸が繁栄し、オランダ人の土地改良によってメドック地区が開発され、現在のボルドーワインが存在するわけです。その貢献を考えると、どちらにも感謝の気持ちを持って当然だと思います。


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ボルドーではガイドさんに案内して頂きました。AMTボルドーの大宅利恵子さんです。知識が豊富な上に、とても親切なガイドさんです。おすすめです。


 

 
 
 

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